ISPSは、スポーツの振興を通して社会福祉活動及び国際協力の活動を行う団体です。
ISPS設立の趣旨
国際スポーツ振興協会(ISPS)は、「スポーツの力」を強く信じます。
スポーツには、希望を生み出し、人々を動かして社会を変革する力があります。
またスポーツは、人々を団結させ、世界中の地域社会に一体感をもたらします。
そしてスポーツが、世界平和の追求においても、非常に強力なツールになることも、疑いの余地はありません。この信念こそが、ISPSの活動を支える柱になっているのです。
国際スポーツ振興協会(ISPS)は、もともとスポーツの社会貢献を実践し、障がい者スポーツの、幅広い振興を図るために設立されました。
このため、ISPSではフィランスロピーの浸透と、ブラインドゴルフや障害者ゴルフなど、ゴルフやスポーツの社会貢献を第一に考えます。そして、「スポーツの力」が平和に役立ち、社会をよりよくすると考え、世界中で色々なスポーツの大会を支援しています。それは、ゴルフ、ボウリング、ボート、アーチェリー、ボクシングなど、多岐にわたります。
平均寿命がますます伸びる現代では、男性も女性も生き甲斐をもち、人生を健康で豊かにするには、スポーツは欠かせません。その中でも、ゴルフは80才、90才になっても、男女や年齢、国籍、障がいのあるなしを問わず、相手を打ち負かすことなく楽しめる、紳士のスポーツです。
だから、ISPS ではゴルフ大会を多く支援しています。そして、その大会のプロアマ戦には、ブラインドゴルファーや障がい者ゴルファーを招き、有名選手とプレーできる感動を与えます。
こうして、ゴルフ全体にスポットを当てながら、同時に、盲目のゴルファーや障がい者ゴルファーに、夢と感動を与え、やる気と生きがいを創るのです。
このように、ISPS では常に独創的なトーナメントや運営をめざし、ジュニアの育成にも力を注ぎます。以上のような主旨で、ゴルフだけでも、国内と海外で、68試合を主催しているのです。
日本のブラインドゴルフの父
ISPS 会長である半田晴久氏は、今から 32 年前の 1988 年、日本で最初にブラインドゴルフ倶楽部(現・特定非営利活動法人 日本ブラインドゴルフ振興協会。略称、 JBGA )を設立し、日本に初めてブラインドゴルフを紹介した、「日本のブラインドゴルフの父」として知られています。
ブラインドゴルフ(視覚障害者によるゴルフ)は、ベトナム戦争における米国傷痍軍人のメンタル・リカバリーのために始まったもので、現在では、英語圏を中心に世界的に活動が広がっています。
半田氏が名誉会長を務める日本ブラインドゴルフ振興協会( JBGA )では、国内および海外における、ブラインドゴルフの普及と国際大会の開催に貢献してきました。日本には、現在 100 人以上のブラインド・ゴルファーが育っており、2年に1回、各国持ち回りでワールド・チャンピオンシップが開催されています。
また、1998年には、半田氏の呼びかけで、5カ国参加の世界盲人ゴルフ協会( IBGA )が設立され、ブラインドゴルフの世界的な運営推進が行われています。また、半田氏は満場一致で IBGA の総裁に推挙され、今日に至っています 。
女子シニアゴルフとの出会い
2003年、 JBGA は15周年を迎えました。この記念すべき年に、“日本のセント・アンドリュース”と言われる日本最古のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部で、 JBGA のブラインドゴルフ大会が開催されたのです。
この年、神戸ゴルフ倶楽部はちょうど100周年でした。このとき半田氏は、神戸ゴルフ倶楽部の方から、「最初の100年はゴルフの普及。次の100年はゴルフの社会貢献」ということを聞き、非常な感銘を受けたのです。
それ以来、半田氏は、ブラインドゴルフ以外にも、ゴルフの社会貢献の道を模索し始めました。そして、その翌年(2004年)、稲葉真寿美プロとの出会いがあり、女子シニアは試合に出る機会に恵まれていない、という実状を知ったのです。
50 歳でシニアとなる男子と違い、女子は 45 歳でシニアとなります。平均寿命がますます伸びている現代では、女性が45才でシニア、男性は 50 才でシニアといっても、まだまだ若い盛りというプレーヤーも多いものです。しかも、シニアプレーヤーは年々増えていくのです。しかし、男性のシニア公式戦は、日本やアメリカや欧州にもありますが、女子シニアの公式戦は、当時は世界中でアメリカにしかなかったのです。
そこで、女子シニアゴルフの振興のために、半田氏の呼びかけで、米国のブラインドゴルフ協会もサポートしている The LEGENDS Tour (旧米国女子シニアゴルフ協会〔 WSGA 〕)の協力を得て、米国女子シニアの公式戦を日本で行い、それをオープンする大会を開催したのです。
こうして2005年4月、特定非営利活動法人日本ブラインドゴルフ振興協会( JBGA )と、世界ブラインドゴルフ協会( IBGA )、 The LEGENDS Tour (旧米国女子シニアゴルフ協会〔 WSGA 〕)の三者共催で、「第1回ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」が、日本で開催されました。
海外からは、ゴルフ世界殿堂メンバーが3名、すなわち優勝回数88勝で、男女含めて優勝数世界一のキャシー・ウィットワースや、パット・ブラッドリー、パティー・シーハンが来日。さらに、南アのサリー・リトル、美しいフォームで有名なシンディー・ラリック、また、よくゴルフカレンダーに登場したジャン・ステファンソンなど、今も多くがレギュラーで活躍する海外のビッグスターが参戦しました。
日本からは、日本女子の生涯賞金女王のト阿玉、第2位の吉川なよ子、第5位の森口祐子らが出場し、熱戦を繰り広げたのです。
続いて2005年6月、 JBGA の主催で「 JBGA シニアレディスカップ」が開催され、日本女子プロゴルフ協会( JLPGA )の全面的協力を得て、国内の女子シニアプロが多数出場しました。
すると、これらの試合がきっかけとなり、同年10月には「2005大宝シニアレディースカップ」、11月には LPGA シニアトーナメント「ふくやカップ2005 マダムオープン」という、二つの女子シニアの大会が行われたのです。これで、女子シニアの大会は年間5試合になりました。
翌年、2006年4月には、「第2回ワールドシニアゴルフ レディースオープン選手権」が、太平洋クラブ御殿場コースで行われ、再び世界殿堂メンバー達が来日しました。
2006年11月には、半田氏が代表取締役所長をつとめる菱研が主催する、「菱研シニアレディースカップ」も行われています。
さらに、2006年から、日本女子プロゴルフ協会( JLPGA )で、シニア登録の制度が始まり、122名が登録しました。日本女子シニア初のQT(クォリファイングトーナメント)が行われるなど、女子シニアゴルフはわずか1~2年の間に、大きく発展したのです。
女子シニアプロのバイタリティあふれる活躍や魅力は、ゴルフの面白さや可能性を広げ、アマチュアゴルファーのやる気や技術の向上にも役立ちます。そして、これらの大会は、いま活躍している女子プロ達の、将来の受け皿を作るものでもあるのです 。
海外でのシニアゴルフの振興
海外では、 ISPS は The LEGENDS Tour と協力し、 2006 年 11 月、オーストラリアで「 HANDA AUSTRALIA CUP 」を開催しました。
これは、男子シニア、女子シニア、男子ジュニア、女子ジュニアが一緒に、ひとつのタイトルを争う世界初の大会です。シニアは、ジュニアに自らの熟練の技を伝え、ジュニアはシニアのすぐれた技術やゴルフへの姿勢、またマナーや経験智を継承する機会を得、非常に意義深い試合でした。そして、地元のマスコミからも、大変注目されたのです。
また、2006年12月、 ISPS では、 The LEGENDS Tour と協力して、「 HANDA CUP AMERICA 」を開催。これは、女子のソルハイムカップや男子のライダーカップといえる、女子シニアのための大会で、米国女子シニア対世界選抜女子シニアの団体対抗戦です。フロリダ州セントオーガスティン(世界ゴルフ殿堂)で、世界で初めて行われました。日本からは樋口久子プロが、世界選抜チームのキャプテンとして参加しました。
この試合は、圧倒的な強さで米国チームが勝ちましたが、地元のテレビや新聞、ゴルフ雑誌に大きく紹介されました。しかし、何よりも感動的だったのは、ウェルカムパーティーが世界ゴルフ殿堂のホールで行われ、参加選手と大会の名が、ゴルフ殿堂のレンガの道に刻まれたことです。即ち、世界のゴルフの歴史に、新たな1ページを印したわけです。そして、そのことを、ゴルフ殿堂のコミッティーが認めてくれたことの意義が大きい。この大会も、毎年行われる予定です。
そして 2007 年、日本プロゴルフ協会( PGA )のお申し出により、 ISPS では、男子シニアゴルフの3大公式戦の一つとなる、「 PGA ・ Handa Cup フィランスロピー シニアトーナメント」に特別協賛する運びとなりました。この大会は、シニアツアーの史上最高賞金総額、及び史上最高優勝賞金となるものです。そして、フィランスロピー(人類愛)という大会主旨に基づき、賞金の一部は社会福祉団体に寄付されるものです。また、プロアマ戦には、ブラインドゴルファーが10組出場する予定です。 ISPS では、今後は女子シニアと並んで、男子シニアの振興も、活動の柱のひとつとして支援していくものです。